※本記事は、リクルートさんのnoteから転載した記事です。
(記事公開日:2024年6月17日)
リーグ・オブ・レジェンド(LoL)の日本のプロリーグであるLJLには数多くの助っ人外国人が参加している。
中でもその割合が最も多いのがJGだ。
JGには圧倒的な知識量や経験が求められるため、古くからLoLのプロシーンを牽引している韓国人選手を起用するというのがLJL参加チーム内での定石となっている。
しかしその中で唯一日本人のJGの選手がいる。それがV3 EsportsのHRKだ。
今回はLJL唯一の日本人JGであるHRKの人となりが気になったのでインタビューのオファーを出したところ二つ返事で是非とOKをいただいた。
◆習い事ずくめの少年時代
僕は3人兄弟の末っ子として生まれました。次男とは6歳差あるってこともあって幼稚園はいるときかそれより前くらいから兄とゲームで一緒に遊んだりとかしてましたね。
その時からスマブラとかやってて、ゲームに触れたっていう意味だと人一倍早かった記憶があります。
あと覚えてることでいうと、ジャッキーチェンの映画をめっちゃ見てました。家族からもおかしいってよく言われてましたね(笑)
小学校に入ってからはゲームを少ししかしなくなりました。
というのも、習い事が忙しくなったんですよ。平日は書道、ピアノ、柔道とかをやってて、週末には地元のサッカークラブに所属してサッカーに打ち込んでました。しかも夕方からは塾というかKUMONに行ってたので単純に時間がなかったですね。
小学校が終わるくらいまではずっとその生活でした。たまにサッカーが休みの時はデジタルのゲームじゃなくてカードゲームの遊戯王やってました。友達と遊んだり大会に参加しに行ったのを覚えてます。
◆サッカーに夢中だった中学時代
中学生になってからは習い事を全部やらなくなった代わりにとにかくサッカーに打ち込みました。
中学に上がるときにクラブチームのトライアウトを受けてそれに合格したので、そこで3年間ずっとサッカーをやってました。
当時所属してたチームは朝練が高校なってからとかだったんですけど、中学の同じチームのメンバーと朝5時に起きて近くの大きな公園みたいなところに集まって自主的に朝練やってましたね。
そのあとは学校で勉強して放課後夜までチーム練習っていう感じの生活でしたね。
後塾も行ってたのでまじで時間はなかったですね。ゲームはやってもスマホゲームでパズドラとか、友達の家でスマブラかモンハンぐらいでしたね。
高校もサッカーの推薦で行くか勉強で受験してはいるのかの選択はありましたが、勉強で行こうと決めて塾に行きながら中学時代は勉強に集中しました。
正直ここまでではニコニコ動画とかEsportsとかネットの世界の存在すら知らなかったですね。しいて言うならメイプルストーリー知ってたくらいです。
◆生活が一転、スマホゲームにのめりこむ日々
高校でもサッカーは続けようと思ってサッカー部に所属しようと思ってたんです。自分高校は私立で一番上のコースだったってのもあってみんなが6限で終わるところを7限までやってから部活に合流してたんです。だから単純に他の部員と馴染みづらかったですね。
あと、今までやってたところがガチでサッカーやるクラブチームだったんですけど、部活になってちょっとラフな空気感だったんですよね。中学で一緒のクラブチームにいた友達とも話すことが多かったんですけど、自分の部活のサッカーと比べて全然違うなってなって萎えちゃって…
結果サッカー部やめちゃったんですよ。
そうなると今まで習い事とかサッカーで費やしてた時間がいきなり全部フリーになっちゃって、今まで仲良かった友達も受験でバラバラになっちゃったってのもあって、学校以外の時間マジで暇になっちゃったんですよ。
特にやることもなくだんだんとその暇な時間がスマホゲームに代わっていきましたね。
◆ゲームでも頂点を目指しているうちにLoLへ
だんだんスマホゲームをやってくうちに大会に出られるぐらいうまくなってったんですよね。
当時VaingloryっていうスマホのMOBAがあったんですけどそれで大会とか出てました。実は韓国語もそこで韓国の選手と話すうちにちょっと覚えたんですよね(笑)
知ってる選手だと元CGAのKaitoとかと一緒にやってました。で、その活動の一環で配信するのにPCが必要ってなって。大会成績もよかったんで当時所属してたチームからPCが支給されたんです。
VaingloryにはLoLから来た選手もいて、その人から「せっかくPC持ってるなら一緒にやらない?」って誘われたのがLoLに入るきっかけでした。
これが高2か高3くらいかなーって感じです。
◆強くてニューゲームしたソロQ
LoL始めたての頃はまだVaingloryガッツリやってたってのもあってすぐランクにはいかなかったんですよ。
でも大会自体は見てて、覚えてるのは2016のROX Tigersが活躍したのとか、2017でSamsung Galaxyが優勝してClownのことめっちゃ好きになったりとかですね。
ただ、最初はぼくJGじゃなかったんですよ。っていうのもVaingloryでもJGやっててJGやりたくなくて…MIDでアジールとかやってました(笑)
ただあんまり勝てなかったのでJGに移行した瞬間にめちゃくちゃ勝てるようになりました。そのあとランクやり始めましたね。
当時ノーマルの内部レートがランクに反映されるみたいな話があったんですけど、もう最初の振り分け戦からゴールド混ざったりとかしてて。ダイヤモンドとかマスターまでは2年で上がりました。
◆チームゲームが好きで自らプロに志願した
サッカーとかでも一緒だったんですけど、自分やっぱ大会とか出るのが好きで。大会でチームでやるっていうのがすごい好きだから自分からチームに声かけましたね。それが大体シーズン8か9くらいだったと思います。
最初の半年ぐらいはただ単にうまくなりたいってだけだったんですけど、大学生リーグで世界大会を経験したりとかいろんな大会を経てプロになりたいっていう気持ちが強くなっていきましたね。
でもアカデミーチームに入ってすぐに挫折しちゃいました。
あーもう無理かもってなったのをよく覚えてますね。というのも、当時日本人JGとして1部でしっかり活躍できてたのってhachamechaさんしかいなかったんですよ。
他の韓国人JGの人たちもレベル高くって、1部の試合見ながら無理やーって匙を投げてました。
◆友人の存在に救われたアカデミー時代
正直その挫折で堕落してたみたいな時期もあったんですけど、そこから奮起して頑張ろうって思えたのは友人の存在が大きかったです。
まず最初にMilan(現DFMのSub ADC)がCGAでデビューして1部で戦うようになったんです。その姿を見てなんとなく苦しそうだけどいいなぁって思ってて。
その後とかにV3 EsportsからHetel(現V3 Sup),Eugeo(現AXC Mid),Washidai(現AXC TOP)が出ることになったんです。
友達がどんどんプロとしてデビューしてる中まだ自分はアカデミーにいるっていうのが悔しくて…
みんなに追いつきたい、みんなと一緒にプレイしたいって気持ちがどんどん大きくなっていったんです。
その悔しさでしんどいとか苦しいとか本当にどうでもよくなって、練習にめちゃくちゃ火が付きました。
その翌年1部へ昇格することになりました。
◆地獄のようなプロ1年目
1部でプレイすることが決まったときはめちゃくちゃ嬉しかったけど、同時にすごい怖かったのを覚えてます。
前の年のV3がめっちゃ負けてたっていうのも見てたし、俺の前にJGを担当してたYunikaさんは1部でプレイした経験もあってそれでも苦戦してたから…
自分は初の1部でのプレイになるからYunikaさんで苦しそうだったのに自分がやったらどうなるんだっていう恐怖が強かったんですよ。
実際1年目やってみてですか?地獄でしたよ。
試合のテンポ感がアカデミーと全く別で、マクロも全くレベルが違う。自分だけ試合に置いてかれているような感覚になってたんです。
まだマクロもミクロも身についてない状態だから脳処理が全然追いつかなくてプレイにも集中できないみたいなひどい悪循環でした。
春はそれで何もできなかったなっていう記憶だったんですけど、春から夏にかけてのオフシーズンでコーチのHW4NGさんが付きっきりで親身にランク見てコーチングをしてくれたっていうのと、試合数を重ねるうちに慣れみたいなものも生まれてきて、夏は何とかプレイできたなっていう印象でした。
でも夏からはチャンピオンプールで苦しんでましたね。
元々キャリー系のチャンピオンが得意っていうのもあったんですけど、競技シーンのレベルでキャリーチャンピオンやるっていうのはまた別じゃないですか。で、タンクもやんなきゃいけないっていうのでどっちつかずの状態に陥ってたんでプールをとにかく広げることに専念しました。
◆決意を固めた冬
1年目も終わってオフシーズン入ったんですけど、結局1年目では勝ち星を挙げることができなかったんです。めっちゃ悔しくて…
あと、hachamechaさんが今シーズンで引退するっていう噂も聞いてて。唯一の日本人JGとして頑張らなきゃなっていう思いも強くなったんです。
この二つのことがきっかけでめっちゃ練習しなきゃなって思っていたところにちょうどChampions Queue(アジア圏のプロのみでSoloQが行えるようなシステム)が開かれるっていうのを知ったんです。
韓国語はVaingloryのチーム活動やってた時に韓国人選手と話しててある程度できるようになってて、中国語は専門学校行ってた時に所属してたコミュニティに中国の方がいたのでそれで覚えたっていうのもあって、試合で使う韓国語中国語くらいは問題なかったんですよ。
もちろん相手選手がめちゃくちゃうまいんでJG GAPとかも感じながらではあったんですけどめちゃくちゃいろんなこと学べたし、何より楽しかったんでオフシーズン中はできるだけChampions Queueで他の国の選手に混ざりながら練習してました。
◆国際大会でまたも感じた"壁"
オフシーズンの練習の成果もあって2年目ではLJL3位まで行くことができました。もちろん苦しい試合もあったんですけど、1年目に比べるとついていける試合が増えたのは肌で感じました。
あとはタンクJGのメタだったのでTopに新しく入ったTaNaが色んなチャンプをピック出来て活躍しやすかったっていうのもありましたね。
そのままPCSプレイオフまで進んで他地域の選手と戦うことになりました。
最初に当たったのはBeyond Gaming。対面がHusha選手、WCSとかにも出たことある強い選手で緊張するかなぁとも思ったんですけど、知ってる選手だったっていうのもあって思ったより緊張はなかったです。
むしろ問題はLCOのチームGround Zeroでした。
あまり見たことない相手と戦うっていうのが本当に怖かったですね。
JGって人によってスタイルとかチャンピオンプールとか全然違うから馴染みのない選手ほど怖いんですよね。
後は負けたら終わりっていう重圧もありました。1戦1戦がLJLの何倍も重くて…あの日は緊張がエグかったのを覚えてます。
◆今後の課題は"基礎力"にある
相手が何してくるかわからくて恐いみたいに感じるのって自分の基礎力が足りてないからだと思うんです。
LJLで3位まで行けた時も、1週目の戦いでは辛かった相手でも2週目以降自分たちの試合含め他チームとの試合も見ていくうちに癖みたいなものがわかっていくんですよ。
そうなると相手の動きや戦い方が読みやすくなるんですよね。アナリストの人とかがやることをJGオンリーの視点でやっていたんです。つまり、自分の基礎力が足りてない部分をそういう知識や読みで補ってたんですよね。
でも基礎力があればそういうの無しでもある程度試合のバランスを保つことってできると思うんです。
今回の国際大会の一発勝負で知らない相手と戦わないといけないって状態になったとき直面した問題でしたね。
◆夏に向けて
PCSのプレイオフで負けてしまって正直めちゃくちゃ悔しいです。夏は絶対にその悔しさを晴らしたいなって思ってます。
後は今年勝ち始めてから見てくれた人ももちろんうれしいんですけど、去年勝てなかった中でそれでも応援してくれた人たちに少しでも恩返しできたらなという気持ちでいます。
これからも僕たちを応援よろしくお願いします!
◆終わりに
話を聞いているとHRKはプロ2年目にして様々な苦悩を抱いているという印象を受けた。そして人一倍練習、研究に熱心なその姿に筆者も応援したいという気持ちにさせられた。
V3がプレイオフにいけるのか、HRKがこれからKR JG達、他地域のJGにどう対抗していくのか目が離せない。
LJLは毎週土日午後17時より開催中、見逃すなよ。